めんどくさい女

エッセイ

どんなふうに恋愛を始めていただろうか。振り返ってみたが、なんとなく何も考えずに始まっていた気がする。

基本人生行き当たりばったりのタイプなので、刺激的なことも、無駄な時間も多くあった。

私は何をしたいのか、どんな人と付き合いたいのか、全く考えてこなかった。

就活の時も「自己分析をしなさい!」と耳にタコができるくらいいろんな人に言われたけど、できなかったし、好きな分野・興味ありそうな業界にだけ下調べもせずに飛び込んでいった。(ダメ就活生の典型)

自分を分析しろって言われても、その時の自分が何者かなんて分析するほど大した自分でもないし。かつ、自分自身の人生をいくつかの観点で振り返るって、そんなことで自分自身のことをわかるわけないし、企業を説得するためだけにこじつけるための自己分析なんて全く意味ないと思っていた。

逆に、”そんなこと”で企業には就職できちゃったりする。いろんな採用現場も覗いてきたけれど、偉い人はエントリーシートなんて見ちゃいない。結局は面接の時の印象、話し方、ロジック、見た目、雰囲気・・・

でも、やっぱり根強い、「キャリアは志望理由と共にストーリーを描いて歩んでいくべき」みたいな風潮が理解できない。

上司とのキャリアに関する面談とかでも、新卒の時なぜこの会社に入ったの?そのあとなぜこの会社に転職したの?と当たり前のように聞かれて、その行動に一貫性やそれらしい理由がないと不審がられる。

よくわからん。

それと似た思考として、好きなアーティストのゴシップとか好きな食べ物とか、そういうのは知りたくない。

音楽という価値だけを純粋に受け取りたいだけなので、そのアーティストが誰と付き合ってようと好きな食べ物が餃子の王将だろうと、どうでも良いし「案外庶民的なんだ!」とかいうノイズが入ると一気に興醒めしてしまうので、知りたくない。というか、わかりたくない。

でもでも、好きなものについて知りたい!という好奇心はある。(めんどくさい女)

例えば音楽の世界、服の世界、文学の世界、など自分の好きな分野については深く知りたい、触れたい、という気持ちはある。

でも、それは熱心に本を読んで知識をつけていくというより、人から聞いたり好きなバンドの妹分のバンドに出会ったり、なんかそういう感じで知りたい。情報は紐づいていくものだし、どんどん出会う。

話を最初に戻すと・・。

私の根底にある、全部を知りたくない。というか、相手のことを100%理解したり、自分のことを相手にわかってもらえるなんて考え自体が烏滸がましい。という考えから、自分がその人のどんなところが好きなのかなど何も考えずに、行き当たりばったりで自分のことを好いてくれる人と付き合ってきた。

付き合っても理解し合えない、と最初から決めつけているからこそ、反射的に自分を相手やその場の空気に合わせて偽ってしまったりして

そんな自分を客観的に見て、さらに冷めてしまい、それも相手に伝わって、うまく関係が回らなくなってしまう。

そんなことなら恋愛なんてしなくてもいいのに、やっぱり寂しいのか、好きと言ってもらえたら付き合ってしまう。

よくないよくない。

全然話は変わるが、ラグを新調した。

敷く前に、この酷暑の中約半日干している。

表と裏をどちらも日光に当てて、すごくふかふかしてきていて、新品特有の匂いもとれて、殺菌もされている気がして、とても気持ちがいい。

もう取り込んで敷いてもいい気がするけど、まだなんか日光のいい効果が得られる気がして、干していたい。

このひどい暑さもいいとこあるじゃん、と思えたサマーデイ。

・・・こういうこと言ってるのを、冷めた目で見ない人と次回はぜひ付き合いたい。

タイトルとURLをコピーしました