2024サマリー

エッセイ

久しぶりに文章を書こうと思ったのに、@でメンションをしそうになって、仕事から頭を切り替えられていない私です。

さて、今年も終わるので、ざっと、ざっくりと振り返ってみようっと。

今年は人生お先真っ暗になる出来事からの幕開けだったので、なんとかその大きなマイナス分をプラスのイベントで取り返すようにしてきた上半期だった。

人生とはこんなにうまくいかないものか、と落ち込んだ。毎日当たり前にできていることは決して当たり前じゃないんだと知った。

ご飯を食べられること、しゃべれること、お風呂に入って髪の毛を洗えること、自分のベッドで眠れること。なんて幸せなことなんだろう、と。

この時、いてもたってもいられずに読んだ本には、まず自分は大したことのないどうしようもない人間だと、知ることからだ、と書いてあった。自分の弱さをとことん知っておくこと。それをちゃんと知った上での人生には、いろんな考え方に変化が出てくるのだという。

自分は弱いと知っているから、人の痛みも理解することができるかもしれない。

人に優しくできるかもしれない。

どんなに嫌いな人間がいても、あぁこの人も誰かに愛されたかもしれない人の子なんだよなぁと、その嫌な奴を心から愛する家族や周囲の人を想像して、許すこともできるかもしれない。

自分の弱さってなんだろう、、と考える。

「幸せアレルギー」というか、恐怖症というか、そういう部分が自分の中にはあると思う。

世に言う、「幸せ」と呼ばれるコトに対して恐怖があるので、そこを避けて生きてきている気がする。あるいは、楽しい時間をこれもいつか終わるとどこかで空の上から見ている自分がいる。

幸せがいつか壊れることがあること、壊れた時の悲しみや辛さを知っている。壊れることが怖い、だから最初からそれを掴まない。

終わらせたくないから、いっそ始めない。

そういう思考があるんだと思う。自分はとっても臆病な人間なんだなぁと、改めて自覚。

人と関わる上では、嬉しいことも悲しいことも、楽しいことも辛いこともある。いいことばかりじゃない。とても嫌な気持ちになったり、感情を逆撫でされたり、自分の嫌な部分や汚い感情にも出会うことがある。でも、それが人と人が共に生きるということで、それがきっと人生の彩り、醍醐味になる。

そして、全人類に必ず平等に「離別」の時はやってくる。

今年初めの逆境的体験は、そういった自分の「弱さ」に対して向き合えた時間だったと思う。

私の人生に関わってくれている人たちに感謝したい、しなければ、と思わされた。同時に、人生は一度きりだから、後悔のないように生きたいと思った。

6月以降には、頑張った私に神様がご褒美をくれたのか、とても素敵な出会いがあった。

私のことを大切に思ってくれる人が家族以外にいる、ということはとてもありがたいことだ。

とてもとても。

落ち込むことが多い人生だったけど。

恋愛とか付き合うとかそういうことを、もう諦めるというか、いらないんじゃないか、それこそ、どうせ人は死別か離別を辿るのだから、誰かと付き合ったりする必要ある?ないよね?そんな約束必要?と本気で思っていた。

でも、そんなことを言っていたら物事はなにも始まらない。そういう生き方これからも続けるの?どうすんの?って、考え直すきっかけをもらった気がしている。人生を悔いなく生きるためにも目の前で向き合おうとしてくれている人と、ちゃんと向き合いたいと思ったのかもしれない。(あいの里見たばかりなので、文章があいの里)

ある日、「人は別れるのにどうして付き合うの?」という疑問は、「人は死ぬのにどうして生きるの?」と同義だ、とかいうどっかのWEB記事のタイトルが目に入ってきた。

どちらも、日々感じている疑問だったので、なんだかどちらもそのとき同時に答えが出た気がした。

考えたって仕方のないこと、ということがあるのだと。

1+1が2ではない時があるし、男と女は違うし、人の感情なんてコントロールできない。なのに独占欲や愛されたいという欲求や、嫉妬や怒りや、悦びや、いろんな感情が他人(ひと)に対して湧いてくることを人は止めることができない。

自分をコントロールしたい、傷つきたくない、そうやって判断してブレーキをかける、そういうことがとても面倒だけど、そういう面倒くさいことをしてまでも人はなぜか他人と一緒に生きようとする。

なぜなのかはわからない。でも答えを出したいと思って、ずっと考えてきた。けど、歴史上でそれは解明されてこず、ずっと人は恋愛をし、浮気をし、結婚をし、不倫をし、美人は案外性格がよく、悪い男に泣かされていたりする。

ずっと同じことを繰り返している。

てことは、それはある種本能で、人間はやはりどこか動物で、理性だけでは説明がつかない状況が世の中にはたくさんあるということで、、、。

そんな、歴史上解明されていない普遍の真理みたいなものに、過剰に怖がっているのはけっっこう自分でもキモいなと、人生一度なのだから飛び込んでみても良いのでは、と。思ったのであった。(でもやっぱり怖いけどね。)

私はいつも怖いから、自分からは与えず、与えてもらうばかりの恋愛をしていた。相手を好き。と言葉で伝えることですら、怖いと思うことがあった。

親しい友人からも、「meiが自分から、相手に愛情を与えたい!と思えるような恋愛をしてほしい」とよく言われる。

私ももうミドサーということで、

今回はそういった恋愛ができたら嬉しい。

今年も頑張った!

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